赤羽街角情報2




◎北区景観百選に選ばれた赤羽の景観(京浜東北線の東側)を中心に紹介いたします。


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北区景観百選に選ばれた赤羽の景観
(京浜東北線の東側)




魅力的な建物や地域のシンボルとなる景観
赤羽カトリック教会

赤羽2-1-12

コンベンツァル聖フランシスコ修道会の
由緒正しいカトリック教会です。
スズラン通り入り口横にあります。
ゴシック様式の教会です。
ドラマ、映画の撮影がよくおこなわれます。
「神様もうすこしだけ」やGLAYの「HAPPINESS」のジャケットもここで撮影されました。
付属の幼稚園「聖母の騎士幼稚園」があります。





小山酒造

岩淵町26-10

23区内に残る唯一の造り酒屋で名実共に《江戸の酒》。
酒銘の丸眞正宗は“丸まる本物の酒”の意味で、この心を大切に、まろやかな酒を造っています。

景観百景に選ばれた当時の建物(右の写真)は新築のため取り壊されました。



出没!アド街ツク天国2001年3月4日「赤羽」で
放送された当時の建物の写真




人々のふれあいやにぎわいのある景観


志茂東公園入口

志茂東公園

志茂3-46-8

公園内の桜並木を含め近隣の北清掃工場周辺の公園や街路に桜が植えられこれからの花見が楽しみです。
この公園を含む、志茂一丁目・三丁目、神谷二丁目・三丁目、赤羽南二丁目にまたがって岸飛行場があった。
岸飛行場は、大正5年築地明石町の耳鼻科医岸一太博士が開設したものである。風洞から電気溶鋼炉まで備えた併設工場は中島飛行機の創設者中島知久平が参考したという。
この工場では発動機まで製作されて、アルマン六型機4機を陸軍に納入した。まだ飛行機の時代には時期が早すぎたため、わずか2年で閉鎖された。
その後、飛行場跡地は、「飛行場原」と呼ばれていた。その後、跡地は理研コンツエルン(注)などの工場地帯となった。
現在は、北清掃工場・北運動公園・都営神谷三丁目アパート・神谷中・赤羽署・大日本印刷工場王子工場・大同特殊鋼王子工場・Dマート赤羽店などがある。


◎戦時中は北運動公園の地に陸軍照空灯陣地があった。

(注)理研コンツェルン
大河内正敏が東京帝大教授、海軍政務次官などを歴任後、大正10年に理化学研究所第3代所長就任した。(1921〜1946)
理化学研究所の発明を研究所自身が製品化する事業体として1927(昭和 2)理化学興業(現リケン)を設立。
理化学興業会社会長として理研コンツェルンを統轄した。リケン・リコー・科研製薬・理研計器などがかって理研コンツェルンに属していた。



志茂東公園内の桜並木


北清掃工場周辺も公園や桜並木が整備


区民まつり

赤羽南1-14-17 赤羽公園他

毎年10月の第3週土曜・日曜日に開催。
平成14年は、10月19日・20日に開催された。
赤羽会場・王子会場・滝野川会場の3ヶ所。
各会場の風景を紹介します。

★赤羽会場
★王子会場
★滝野川会場



赤羽公園の買い物広場


自然を肌で感じる景観


赤羽公園

赤羽南1-14-17

敷地面積約11,500u。
公園の中央には、直径15メートルの池に星座をモチーフにした大きな噴水が設置されていて、美しい水の舞を見せてくれます。
毎年、4月と10月には区民植木市が行われます。
10月はふるさと北区区民まつりの赤羽会場となり、地元町会・自治会の出店やフリーマーケットなどで大いににぎわいます。





荒川赤羽桜堤緑地

赤羽3-29先
岩淵町41先


荒川と新河岸川との間の土手につくられた遊歩道上の緑地。
新河岸川を挟んで対岸には新河岸川緑地・新河岸川庭球場。
荒川河川敷には荒川赤羽緑地・新荒川大橋緑地・荒川岩淵関緑地。野球場・サッカー場などもある。
赤羽桜堤緑地は、これら周辺の緑地や施設と一体となった素晴らしい景観になっている。
出没!アド街ック天国 赤羽で堂々1位が荒川になったのも納得。








赤羽桜堤緑地


遊歩道


新河岸川緑地に咲いている芝桜


水辺や崖線の景観

☆岩淵赤水門と荒川

志茂五丁目先

明治43年8月8日におきた水害では荒川の数十ヶ所の堤防が決壊し、荒川中流域から東京の下町まで広範囲にわたって被害が及びました。
浸水家屋は27万戸、150万人が浸水被害を受けました。

この大水害を契機に明治44年から荒川放水路の建設工事がはじまりました。土地買収面積1098町歩、移転戸数1300戸以上、約20年の歳月とと延310万人の労力により、昭和5年に荒川放水路は完成いたしました。長さ22km面積11kuに及びます。
この工事で忘れてはならないのは、日本人でただ一人パナマ運河の建設に従事した青山士の指導により荒川放水路建設という大事業はなしとげられたということです。

岩淵水門も青山士の指導により大正13年に建設されました。岩淵水門の完成により同年荒川放水路全川に通水されました。
昭和57年に岩淵青水門が完成するまで、東京の下町を洪水から守ってきました。





水門周辺では鴨ものんびり


対岸の川口市のエルザタワー55が見える


新岩淵青水門

志茂五丁目先

計画高水位の上昇によって水門の高さの不足および安全度の低下をきたしてきたため、旧水門の下流約 300mに新しく岩淵水門が建設されました。昭和49年に着工し、同57年に慨成しました。

ARA都市河川荒川情報




新河岸川と遊歩道

浮間1-1、2先辺り

浮間から赤羽にかけて
新河岸川沿いに遊歩道が整備
川沿いの散歩が楽しめる





魅力ある通りや鉄道の景観

荒川にかかる鉄道の橋

赤羽3丁目先






鉄橋を京浜東北線・宇都宮線・高崎線が通る